まだ、余震が続くなか、二日目の夜を迎えています。
心細さ、不便な点など案じられますが
できるだけ早い復旧、救助を願っています。
東方地方の方々に比べると、家族が無事で今はライフラインが整っている状況なので、
書くことも躊躇われたのですが、
一例として、都内で働く人が昨日どのような状況になっていたのかを
記しておきたいと思います。
地震発生時、私とぶーちゃんは家にいました。
卒業式を控えているぶーちゃんは、予行練習を終えいつもより早く帰宅していました。
(家にいてよかったです。)
いつもの感じで地震が始まったのになかなかおさまらない。
どんどん横揺れが強くなる。
長い。長い。こんなに長い揺れは経験がないかもしれない。
ものが落ちてきました。
キッチンでもかたかたずっと鳴っていて、「何が壊れるんだろう、何が落ちるんだろう」と
ぶーちゃんと不安になりながらも、同じ場所にじっとしていました。
あまりの揺れの強さで気持ち悪くなり、二人とも頭がぐるぐるしました。
その後頭痛も感じました。
余震も強かったので、身動きとれずに家にいました。
テレビにかじりついて、情報を得ていました。
その初めの地震のあと、ダーリンからメールが入っていました。
が、そのあとしばらくメールもやり取りができませんでした。
ダーリンは勤務している都内のビル内にいました。
ビルは危険なのですぐに出るようにいわれ、寒い中外にしばらくいることになったそうです。
でも、待っていても状況は変わらない。
このままだと電車は止まっているだろうから家に帰れない。
とにかくその場所にずっとはいられないと思って、乗り換え駅の上野まで歩いたそうです。
上野では、帰宅難民のために解放されている施設で夜を明かすことになりました。
おかげで寒さからは解放されましたが、硬いコンクリートの上で一晩明かすことに
なったそうです。
メールは正常には飛ばないし、携帯電話はもちろん通じない。
そのころ、公衆電話が無料になっていましたが、
もちろん長蛇の列で、そうそう使える状態ではなかったそうです。
家では、夕方に観ていたテレビが突然切れ、それと同時に電話もPCもつながらなく
なりました。
照明はついていたし、暖房器具も大丈夫だったので、停電とは思わず、
テレビの後ろや、ケーブルの線の接続を確認したりしました。
でも、どうしてもダメ。
ケーブルのモデムを見ると、パワーは入ってるのにPCやTELのところが点灯しない。
これはダメだなと思い、一応確認のためにご近所に聞きに行きました。
そしたらやっぱりテレビは突然切れてしまったと。
これはケーブル会社の停電によるものなのかなと理解しました。
それからはラジオからのみ情報を得ました。
電話も通じないので、かなり不安になりました。
親戚からのメールもなかなか届かず、なかなか安否確認ができませんでした。
ダーリンの実家も全く連絡が取れないと義弟からメールが入りましたが
(メールは全て2~3時間遅れで届いていました。いまだ行方不明のメールもあります。)
こちらからは電話することができなかったので、心配でした。
夜中に連絡が取れて、地震直後から停電で全てがダメだったことが分かりました。
横浜にある私の実家も始め停電していて、その後こちらに連絡してくれていたようですが
電話も携帯もつながらないので、心配していてくれたようです。
ダーリンは人が集中している場所にいたので、通話もメールも全くダメだったようです。
夜中、近隣の停電が復旧したころに
うちのテレビもつくようになりました。
でも、まだ電話は使えず、携帯は通話ができたりできなかったりという状態に
なりました。
しばらくしてから、ダーリンに携帯がつながり、ようやく話ができました。
その後、ダーリンは待機している場所で携帯の充電器を貸してほしいと言われ
貸しているうちに、人がわっと集まり、充電係のようになり、一晩中順番に充電をしていたので
全く眠れなかったそうです。
地震発生が平日の日中だったこともあって、避難していた場所には
小さな子供がかなりたくさんいたそうです。
そんな状況で夜を過ごすことになった子供たちが、
見ていてかわいそうだったそうです。
朝、7時ころには電車が動くということで6時半から駅に行って待っていたら、
なかなか電車にも乗せてもらえず、結局電車が動いたのは10時過ぎ。
かなり低速度で運行しているので、時間もかかり、
帰宅したのはお昼を過ぎていました。
(うちはJR沿線なので、JRに乗らないと帰ってこられません。)
しばらく経験したことがないような満員状態で、電車内はひどい状況だったようです。
座っている人の目の前まで立っている人が押されていて、みんなの汗が下に
垂れていたそうです。
また、お台場に勤務先があるダーリンの弟は
歩いて新宿まで行き、夜を明かしたそうです。
都内に勤務する私の兄は、神奈川の自宅まで歩いて帰ることにし、
途中まで義姉が車で迎えに行き、夜中自宅へ無事到着したそうです。
都内では、まず安全のためにビルからは出され、駅に行っても駅構内も落下物があると
危険なために建物から出るようにいわれ、
寒空の下にみんな出されてしまったそうです。
安全のためですが、寒い中長時間屋外で過ごすことになった方がたは
つらかったと思います。
災害時には首都圏の交通がマヒする とよく予測されていますが
実際にいっきに麻痺してしまうと、これほどまでに混乱し、本当に多くの
帰宅難民が出ることを思い知らされました。
今日はどうしても用事があったので、午前中少しだけ外出しましたが、
スーパーの駐車場に入るために車が列をなし、その対向車線では
ガソリンスタンドに列ができ、車が通行しにくくなっている箇所がいくつもありました。
これを書きながらも余震があります。
まだまだ安心はできませんが、我が家は全員怪我もなく無事であったことに
感謝し、今もなお救助を待っておられる方々や、ご家族の安否を心配されている方々に
一刻も早くほっとできる瞬間が訪れることを心から願っています。
昨日の津波の映像には、本当に驚きました。
まるで映画のような状況が生中継されていました。
自然のもとでは、人が作った建物や車は何の力も発揮できないんだと
思わされました。
自然の力と、被害の大きさを心にとどめたいと思います。
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